魚系男子の気まぐれ日記

子供な僕が日々大人になっていく様子をお届けしたりします。

“ 主観 ” に生きる(前編)

 

 

 

 

風邪、引いてませんか…?

 

 

 

 

 

 

人肌恋しくなる季節の到来。

心も体も暖まりましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

今回のテーマは 主観 です。

 

 

アドラー心理学を知っている方は聞いたことがあるかもしれませんが、人は誰しも自分の主観的な世界の住人です。

 

まずは、そのことについて書きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さん、井戸は知っていますよね。

この、貞子が登場してくるやつです。

 ※写真はイメージです

f:id:t_yamazaki:20161122083748p:image

f:id:t_yamazaki:20161122083750p:image

 

 

 

 

 

 

この井戸の中の水、実は年中18度くらいで一定だということはご存知ですか?

知らなかった人は、これを機に覚えてみては如何でしょうか。

 

 

…と、なぜ急に井戸の水の話をしたのかといいますと、これが主観の話と関係するからです。

 

 

 

井戸の中の水の温度は、常に一定。

しかし、夏になれば冷たく感じ、冬になれば温かく感じる。

なぜ同じ温度であるにも関わらず、季節によって感じ方が違うのか。

 

 

 

それは、外の温度が違うからです。

ええ、ええ。言われなくてもわかってると言いたいんでしょう。ごもっともです。

 

 

ここで言いたいことは、同じ温度の井戸の水でも、季節によって感じ方が変わること。

 

つまり

 

どんな世界にいるかで、同じものでも違った感じ方や見え方になる

 

ということです。

そして、その世界とは自分の主観的な世界のことです。

 

 

 

 

人は、常にこの自分の世界観を通して、物事を見ます。誰一人として、例外なくです。

 

僕はこれを、

“自分フィルターを通す”

と言っています。

 

 

 

自分フィルターは、自分の世界観であり、価値観であり、考え方です。

人は、目に見えるものから見えないものまで、このフィルターを通して受け取り、そして発信します。

 

 

 

 

 

例えば、ボランティアや募金活動。

 

これは、偽善でしょうか?

『いい人』だと思われたくて、あくまでも自分のために、自分の周りからの評価のためにやっていることなのでしょうか。

 

確かにそういう見方もできるでしょう。

しかし、それは客観的に見てどうとか、世間一般ではそう言われているとか、そういうことは全く関係なく、自分がそう考えているから、そう【映る】だけの話です。

 

 

 

本気で海を綺麗にしたくて、少しでも海水浴を楽しんでもらいたいという想いでごみ拾いのボランティアをする人もいますし、本気で被災地の人達のために何か行動したいという想いで募金活動をしている人もいます。

 

 

その人達の心境は、どういったものでしょうか?

 

きっと、同じ国に住む仲間、同じ地球に住むかけがえのない仲間・運命共同体として、ほっておくことができない、少しでも力になりたい!という気持ちがあるのではないでしょうか。

 

 

 

 

また、目の前の人を“敵”と思うか、“味方” “と思うか。

どちらの方が幸せでしょうか。

 

 

 

 

敵は、倒さなければなりません。

自分と競争し、対立し、お互いに蹴落とし、椅子取りゲームをするような関係性だからです。

 

そして、仮に勝ったとして、それは幸せでしょうか?

自己満足だけが残り、終わりのない承認欲求だけが満たされ、また一人、仲間が減るだけではないでしょうか。

 

 

 

ならば、協力し合い、お互いの良いところを引き出しあい、より良いもの、より素晴らしい時間のためにエネルギーを使った方が幸せではありませんか?

 

 

 

 

勿論、どちらが良い悪いという問題ではありません。

何かを善とし、その対極や逆を悪としてしまうことは非常に危険です。

自分の価値観や考え方を一方的に押し付けることは、絶対にしてはなりません。

 

 

 

 

 

しかし、目の前にあるのは

 

 

ただボランティアや募金活動が行われているという事実

 

だけであり、それをどう見るか・見えるかは、自分の問題なのです。

 

 

 

 

であるならば、受容的に、ポジティブに受け止め、自分も同じ地球の仲間、協力し合える、手を取り合える仲間だと思う自分でいる方が、僕は幸せだと思います。

 

 

 

 

 

そして、今目の前に広がっている世界それ自体には対した意味がないのであれば、言ってしまえば

 

自分の考え方を変えるだけで、世界の見え方はいくらでも変わる

 

ということです。

 

これを読んで、少しでも自分の心に素直になり、幸せに感じられる世界観を構築してもらえるきっかけになれば、幸いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次回は、ここからまた視点を変えて、主観について書いていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

終わり

 

 

 

 

 

 

まずはレベルの高い環境に身を置くことから始めよう

 

 

 

 

今、SEという仕事をしている。いわゆるシステムエンジニアである。

 

 

 

日々、パソコンをカタカタしているわけだが、約半年ほど働いて、というか、この仕事に携わって、気付いたことがあるのできいて欲しい。

 

よく言われることだが、やはり人は体験して初めて身につくのだな、と感じたことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

それは


“レベルの高い環境に身を置くこと”

 

である。

 

 

 

 

 

 

 

 


この仕事をしてると、良いソースコードを書きたくなるし、汎用性、利便性、効率性、再利用性、より良い体系的な構造や関係性を構築することが求められる。

 

 

 


しかし、良いソースコードなんていうのはなかなか見ることが出来ず、先輩や上司にわからないところを聞いたり、元のソースコードを参考にしてアイデアを考えるわけだが、別にそれが正解でもないわけで。

 

 

 


ただ、本当に素晴らしいソースコードに出会うと、感動する。こんな書き方もあるのかと、目から鱗が落ちる。
そこから、新たな発想や考え方に触れることができ、それがまた自分もスキルアップにもつながる。

 

 

 

 

 

 


レベルの高い人がたくさんいる環境だと、そういった瞬間に出会える数が圧倒的に多いし、そういう人たちが集まるとそこでまたさらに各人が良いところや面白いアイデアを吸収し合って、レベルをあげていき、他との差を広げていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


なので、下手くそでも初心者でもなんでも、まずはそういう環境に身を置き、何を言われても、どれだけ時間がかかっても、意地でも食らいつき、多くのことを盗み、まなび、追いつこうとすれば、知らぬ間に、勝手にレベルが上がっていて、それが普通になってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 もちろん、そういう環境に身を置くことはそう簡単なことではないし、そんな奴が入ってきたら甚だ迷惑だと思う人もいるだろう。

 

 

 

 

 

しかし、その甚だ迷惑だと思う考え方こそが、僕は間違いだと思うし、本気でやる気のあるやつに少しの間だけでも、学んで食らいついてみろよ、と余裕のある発言ができない人は結局のところそこ止まりな気がする。

 

すいません、これは完全なる僕の主観でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

話を戻しまして。

しかし、やはり人は経験して、失敗して、そこから得たものからしか、本当の意味での学びは得られないのてはないか、ということも一理あると、この仕事をしていて思う。

 

 

 

 

 

 

 

これだけのメリットがあることがわかっていて、その環境に身を置かない理由がない。

 

 

非常に良い参考書、問題集が、周りにあり、それが当たり前になれば、自ずとそのレベルが普通になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だから、自分のレベルが高いところまでいってから、そういう人達のいる環境に身を置こうとしたところで、スキルはあっても考え方や価値観がレベルの高いところにないので、結局また一から学ぶ羽目になり、非常に効率が悪い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なので、やるべきことは、自分のスキルアップやレベルアップではなく、意地でもレベルの高い環境に身を置くことである。
そこに躍起になることが、まずは第一歩なのだと思う。
その方が、働くことの楽しさも、同時に学べる気がする。

 

 

 

 

 

 

 

終わり

“湯を沸かすほどの熱い愛”を観ました。

 

 

“湯を沸かすほどの熱い愛”を観ました。

宮沢りえさんの姿に、心打たれ、引き込まれました。

 

 

 

 

主役であり、唯一無二の“おかあちゃん”役の宮沢りえさんが演じるのは、末期ガンを宣告され、いきなり余命二ヶ月だと告げられるおかあちゃん。

 

 

 

これだけ聞くと、『余命一ヶ月の花嫁』などのドキュメンタリーが頭に思い浮かびますが、この映画はフィクションです。

 

僕は、そこに監督やこの映画を製作した、しようと心に決めた人たちの、湯を沸かすほどの熱い愛を感じました。

 

 

宮沢りえさんの、どこまでも真っ直ぐで、芯のある姿は、本当に胸打たれます。

娘役の、杉咲花ちゃんの演技にも、涙が止まりませんでした。

 

 

 

 

 

 

この映画で描かれているのは、母の愛だけではありません。

人間が、いや、人間なら、誰しもが心の奥に持っている(孕んでいるといってもいい)、人を愛したいという根源的な欲求。

 

しかし、その欲求の回りには、様々な感情、葛藤や苦悩、淋しさ、憎悪、痛み、妬み嫉み、人を信じられぬ心の傷が覆いかぶさっています。

 

ゆえに、人はなかなか人を愛することができないのだと、僕は思っています。

 

 

 

しかし、この映画に出てくる“おかあちゃん”は、それらを全て受け止め、それを丸ごと愛して、その愛の塊を人にぶつけます。

 

自分と向き合い、人と向き合い、この世界と向き合う。逃げずに、闘う。

そして、その愛をまた受け止めて、感じ取り、成長していく娘や夫、その周りの人々。

 

 

“おかあちゃん”の姿に、人は人を愛さずにはいられなくなる。

 

 

 

 

 

 

作中に、こんな言葉が出てきます。

 

『〜 この人のために、なんでもしてあげたくなるっていうか…。きっとそれって、その何倍もしてもらっていう気持ちがあるからなんだと思います。〜 』

 

 

おかあちゃんは、誰よりも人のことを考え、思いやり、自分の気持ちをぶつける人でした。いや、愛をぶつける人でした。そう、死ぬ間際の最後の最後まで。

 

 

 

正直、この作品のストーリー自体は、非常に残酷です。哀しいです。

しかし、そういった残酷や哀しさの中にこそ、いや、それらさえも受け入れて、自分の一部として存在する姿そのものが、僕は愛なんだと感じました。

 

 

愛とは、存在そのものです。

愛とは、どこまでも真っ直ぐです。

愛とは、人の全部です。

 

愛するとは、その愛を以って、人と接することです。そして、与えることです。ぶつけることです。心に向かい合うことです。

 

 

 

人の心に残り続けるもの。

一度受け取ってしまえば、人に与えずにはいられなくなるもの。

いつまでも心を温め続けるもの。

 

 

 

湯を沸かすほどの熱い愛そのものは、触ると火傷してしまう。

しかし、その熱で沸かした、人というお湯、具現化された愛の塊は、どこまでも人を暖かくし、心地良い。

 

 

そんな風に、この映画のおかあちゃんのように、宮沢りえさんのようになりたいと、心から思いました。

 

 

 

 

 

 

 

終わり

 

四半世紀生きてみた。

 

 

 

 

 


“25年生きた”

 

 

という感覚が未だにわかりません。

アドラーの言うように
きっと刹那的な瞬間の繋がりなので
線として長さを測ることができないのが
人生なのかなと思います。

 

でも、この25年の中での
刹那的な瞬間自体は
たくさん僕の中に詰まってます。


僕はアドラーと出逢ってから
『過去が今を形成している』
という原因論を否定していて、
目的論に立つようになりました。


今から、少しだけその話をします。

興味のある人は下へ
興味のない人は戻るへ
お進みください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それ以上でもそれ以下でもなく、
ただ事実として“ 言葉 ”を捉えることは
非常に難しいです。

僕は、嫌な方へ考えてしまう癖が
ずっとありました。
(あくまでも過去形で話します。)

 


『いや、その日はちょっと予定が…』

(予定の日直前)
『ちょっと無理になってしまって…』

 


そんなことが、よくあります。
この言葉を、ただそのままの意味で
受け取れたら、どれほど幸せか。
そんな風に思っていました。


しかし、アドラーと出逢ってから
この考え方は見事に僕を奈落の底へと
突き落としてくれました。

 

「僕とご飯行きたくないんやろな…」

「話しても楽しくないしな…」

「まあ別にいいけど、僕変わってるし」

 

そんな風に思ってきました。

この言い訳のような言葉。
何故そう思うのか?

答えは明白でした。
僕が普段からそう思って人と接し
事実そんな態度を取っていたという
まぎれもない証でした。

 

人は、誰かの言葉を受け取るとき。
自分の中で咀嚼するとき。

必ず “ 自分 ” というフィルタを通します。

自分の考え方、価値観、思考回路などの
ありとあらゆるフィルタを通して
やっと言葉を感情として受け取ります。

でないとその言葉の意味を
理解できないからです。

 

そう考えると、

「こいつは僕と会いたくないから、
話したくないから、何かと理由をつけて
断ろうとしてるんだ。」

と感じてしまうのは、
そういう自分フィルタを通して
いるからなのかと思いました。


《自分だったらこう思うだろう》


よく、他人は鏡なんて言いますが、
相手の言葉の受け取り方は
まさしく言葉の通りでした。

 

 

 


ここで、目的論の話へ戻ります。
僕は、自分がこういう性格になったのは
少なからず過去に起因しているものだと
思っていました。

不器用で、空気が読めなくて、
変わり者で、人とうまく話せなくて。

そういう自分が嫌いでしたし、
変えられないものだと思っていました。

しかし、アドラーと出逢ってから
それは間違いだったと気付きました。

上で挙げた色々な欠点は
自分がそう思うことで改善する努力を
怠るためだったと気付きました。

性格だと言えば直さなくていいし、
楽ができると思っている証拠でした。

 

 

 

 

しかし、ともするならば。

逆に言えば、気持ちひとつで
いくらでも自分を変えられる
ということではないか?

そう思うと、絶望が希望へと
一転してしまいました。

この感覚が、僕の中で衝撃でした。

 

 

 


ここまでくるのに、25年かかりました。
でも、ここまでこれました。

人は、何気ない出来事を積み重ね
なんでもないような日々の中で
ほんの少しであっても
しかし確実に進歩しています。


今は立ち止まっていたとしても。
どうして生きているのかわからないとしても。

気持ちを前に向ければ。
そのきっかけさえあれば。

 

 

そんな気持ちを生み出したいと思い、
僕は今コツコツと形にできるように
考えています。

少しずつ、少しずつ。
僕は前へと歩を進めます。

 

 

 

 

終わり

10/18 IoT CONFERENCE

 

 

先日、IoTカンファレンスに行ってきました。

その詳細をお伝えしたいと思います。

 

 

 

 

 

まず、IoTとは?

モノのインターネットInternet of ThingsIoT)は、様々な「モノ(物)」がインターネットに接続され(単に繋がるだけではなく、モノがインターネットのように繋がる)、情報交換することにより相互に制御する仕組みである。それによる社会の実現も指す

「物のインターネット」と表記された例もある

「第1段階:見える化」「第2段階:制御」「第3段階:最適化・効率改善の自動化」の段階がある。複数のフェーズがあり、IoT-Iではモノ・人工物、IoT-IIでは人・生物、IoT-IIIではデータ・プロセス、IoT-IVではあらゆるモノが接続される。

 

 

以上は、ウィキペディアからの引用です。

最近の例では、アップルウォッチがとても良い例ですね。

あとは、fitbitなどの体調管理をしてくれるウェアラブルバイスなんかもそうです。

 

 

 

 

IoTでは、

①センサー  ②クラウド  ③アクチュエード

の順番で情報が処理されていくのですが、なんのこっちゃわかりません。

なので、簡単に歩数計で例えます。

 

センサー

事前に登録しておいた体重や年齢、性別から、

歩いた歩数や心拍数を感知し、その集計データを

インターネットを経由してクラウドに渡します。

 

クラウド

ここでは、「ピザの宅配」を例に挙げて説明します。

宅配ピザ業者に電話をすると、30分ほどで自宅にピザが届きます。

 

ただ、どこで、どんな材料を使って、どんな人が焼いているかは

私たちにはわかりません。

しかし、私たちのところにはちゃんとピザが届く。

 

このように、実体はよく見えないけど(これがクラウド=雲の由来です)

ピザを注文すればピザが届くようなシステムのことを

クラウドどいいます。

 

ここでいえば、健康管理のスマホのアプリです。

インターネットを介して、専用のスマホアプリにデータを送れば、

後はその中でカロリー計算や脂肪燃焼度を計算してくれる、

みたいな感じです。

 

そのスマホに直接インストールし、サーバやデータを管理しなくても、

アプリをインストールして使い方に従えば、あとの処理はクラウド側が

ちょちょいっとやってくれる、ということです。

 

 

アクチュエード

は、その計算したデータを、アプリ上に表示することです。

 

 

インターネットとモノを繋いでいるので、IoT。

 

 

これで、少しはIoTが身近に感じて頂けたかと思います。

 

---------------------------------------

 

 

 

では、ここから少しずつIoTCONFERENCEの内容にも触れながら、

これからどうIoTが生活に根付いていくのか?

という視点で書いていきたいと思います。

しばし、お付き合いください。

(※私もIT業界初心者のペーペーなので、なるべく初めて

  読んだ方でもわかりやすく書いていくつもりです)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここまでの話で、IoTとは何か?

ということが、少しお分かりいただけたと思います。

 

じゃあ、

  • そのIoTってどこにあるの??
  • これから私たちの生活とどう関わってくるの?

というところが気になってきます。

 

 

つい3,4年前までは、上で取り上げたような

ウェアラブル端末(センサー有の身につける電子機器のようなもの)は

ありませんでした。

というか、スマホ及びiPhoneが登壇してきたのも

割と最近の話です。今では当たり前になっていますが。

 

この辺りから、

 

コンピュータ=パソコン

 

って構図が少しずつ変わり始めました。

手に取って、身近に感じられるものになった

といっていいと思います。

 

 

 

それが可能になったのは、

他ならぬ、技術の進歩があったからです。

 

それにより、今までは実現できなかったことが

簡単に / 低コストでできるようになった、というのが

インターネットやコンピュータが身近に感じられるように

なった理由だと思います。

 

また、これにより、IoTの市場も格段に伸びました。

センサーの小型化や、かかるコストが低くなったため、

たくさんの企業がこの市場に乗り出してきたのです。

 

現在のデータでは、

2014年の市場規模 ⇒ 5400億円

2020年の市場規模 ⇒ 13.8兆円

 

になるとまで言われています。

それだけ、期待値や可能性があるという

何よりの証拠だと考えられます。

 

 

では、IoTが導入しやすい時代になってきたことはいいとして、

どのように導入すればいいのか?と思っている人も

少なくないと思います。(これは経営者視点の話です)

 

僕も、正直よくわかりませんでしたし、話を聞いた後でも

具体的なアイデアが浮かんできません。笑

 

 

 

しかし、このCONFERENCEでは、そこについて非常にわかりやすい例が

提示されていたので、それをご紹介します。

 

 

1、介護ビジネスの例

 

ここでは、

  1. 計測(センサーによるデータの収集)
  2. ギャップ分析(現状の把握と改善策の立案)
  3. 作業指示(改善策の実施)
  4. 分析(効果測定)

から構成されるローテーションをご紹介します。

 

※ここで紹介するケースとして、老人ホームや介護施設等を

 イメージしてもらえると話が呑み込みやすくなります。

 

 

1、計測(センサーによるデータの収集)

    施設にいる高齢者の方に、ウェアラブル端末を装着してもらい、

   体温や心拍数などから健康状態を管理し、異常があれば

   介護士や医者がすぐにわかるよう常時把握できるようにする

 

2、ギャップ分析

   上で得た情報から、以前まではルート化していた巡回コースを

   見直し、優先度の高い順にしたり、日によってコースを変更

   できるよう柔軟に対応出来る仕組みを作る

 

3、作業指示

   実際に、介護士や看護師、ヘルパーの方に指示する

 

4、効果測定

   試してみた効果・結果を測定し、次に活かす材料にする

   (1に戻る)

 

 

2、工事現場の例

 

よく、なんでもないところで道路の工事がされていたり

することがあります。僕もよく見かけます。

 

ここにも、意外とIoTが生かされています。

  1. 車に付けられたセンサーから、大量のデータを収集
  2. そこから道路の耐久度を割り出し、工事が必要な箇所を決める
  3. 事前に補強をする

 

 

 

 

みたいな感じで、身近にIoTが生かされています。

他にも、より身近に感じられるものがたくさんありますし、

これからどんどん面白いアイデアが出てくると思います。

 

今回のカンファレンスで紹介されたものだと、

みたいなものです。

 

詳しくは、下記のリンクを覗いてみてください。

海外用Wi-Fiルーターレンタル「グローバルWiFi®」をスマホキーで受け取れるスマートピックアップに、スマート宅配BOX ®を採用 | ニュースリリース|株式会社エスキュービズム|S-cubism inc.

IoTインテグレーション事業|株式会社エスキュービズム

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この他にも、IoTを導入することによって解決できる課題が

語られたり、これからの時代の移り変わりについても

面白い議論が多数ありましたので、気になったところを

ご紹介したいと思います。

 

 

 

 

 

① IoT は ”マジックワード

 

IoT(Internet Of Things)という言葉の略称としてIoTがありますが、

その実態がイマイチ見えてこないネーミングでもあります。

これを言われて、すぐにここで紹介したようなものを思い浮かべることは

容易ではないです。抽象的すぎるところがあります。

 

なので、これからは、より細分化し、IoTの中でもジャンルや区分に

分けられ、社会に広がっていくのでは?という話題が挙がりました。

 

 

 

 

②ロボットの普及により仕事がなくなる

 

これは、今ではよく言われていることですね。

自動化できる仕事、ルーチンワークや計算処理などは

コンピュータに取って代わられ、クリエイティビティが

より求められる時代になるなと、個人的にも感じます。

 

ただ、今後、今の「ロボット」のイメージではなくなる、という

ことがここでは言われていました。

ロボットと言われれば、最近だとペッパーが思い浮かびますが、

単なる人型のみがロボットではないということです。

 

1つの機能として成立し、労働力となり、センサーがあれば

それはもうロボットということができる。

今後はそういったものがどんどん普及していく。

というのが、ここで言われていたことでした。

 

また、ロボットのみならず、IoTの積極的な導入によっても

人の仕事は無くなっていく、とも言われていました。

 

例えば、

RFIDタグ

というものがあります。

これは、今後バーコードの代わりになっていく技術です。

 

 

 

コンビニの棚卸しをイメージしてください。

現在では、1つ1つの商品のバーコードをスキャンし、

在庫の確認などを行っています。

 

しかし、これがこのタグに変わると、

タグに含まれるセンサーを機器が読み取り、

電波で感知することができます。

 

また、一度に複数の商品を読み取ることができることや、

わざわざ商品にかざさなくても、機器から発せられる電波に

センサーが反応するだけで読み取りが可能となるので、

大幅な時間や人件費の削減ができます。

よって、コンビニバイトの人数が必要最小限に抑えられ、

深夜まで残ってやる必要も無くなります。

 

 

これは一例ですが、これからはこのようなことが

いたるところで行われるであろうと、容易に予想できます。

 

 

 

 

③既存の価値基準の崩壊

 

 少し前に、”ビットコイン” という仮想通貨が

流行ったことを覚えている方も多いと思います。

 

ただ、一過性のもので、これからも既存のお金が

物の対価として成立する時代が続いていくと思った方も

いらっしゃるのではないかと思います。

 

ここでは、その神話をぶちこわします。

 

あと5年もすれば、僕は仮想通貨や現在のクレジットカード、

ペイカードなどが一般的に普及し、今”現金と呼ばれているもの”を

持ち歩く時代は消失すると考えています。

 

今回のIoTCONFERENCEで僕が印象的だったのが、

 

【「信頼」「信用」の可視化を目的に、現在の通貨制度が普及した】

 

という話でした。確かに、と思いました。

今でも、現金でないと安心しない、という方が

結構な数いらっしゃるんじゃないでしょうか。

 

 

そこで、

『ではなぜクレジットカードが広く受け入れられているのか?』

と、少し考えてみました。

目に見えない通貨の、代表格であるはずなのに、

なぜ生活に根付いたのか?

 

 

その汎用性・自由度にあるんじゃないか?と思いました。

基本的に、現金の場合だと

  • 今持っている通貨の分だけしか買えない
  • 今その場でしか買えない
  • 今ある在庫の分しか買えない

という制限がつきます。

昔はそれが当たり前でした。

 

しかし、インターネットが普及し、

皆が利用できるような環境が整い始めた。

 

そこで、誰かが考えた。

「銀行の口座をデータで管理しているなら、

 そのデータを利用金額分だけ差し引きできるようにれば

 便利なんじゃないか??」

 

それが今では当たり前になり、既存の現金と併用して

使われるようになった。

 

 

そう考えると、いずれ現金がなくなることは

想像するに難くない話だと思います。

時間の問題。

盗られるリスクは格段に減少しますし、

管理する側も少しパソコンを触れば利用停止ができます。

 

普及しないメリットがないです。

というわけで、現金消滅説を推奨します。

 

 

 

そこから、更に話を進めます。

その話をしないと、ここに書く意味があまりないので。笑

 

SuicaPASMOなどが利用できるようになったのは、

センサーが安く導入できるようになり、広く一般的に利用できる

環境が整ったからです。

切符よりもその方が便利だと判断し、導入した鉄道会社さんの

時代を先読みする力は本当にすごいです。

電子改札機なども、IoTだと言えるわけです。

 

そこでお金として使われているものも、実際に数字として

目には見えているけれども、仮想通貨だといえます。

 

それが、今まで書いてきた話で、

食事代や鉄道などでは、今のスタイルが継続されると思います。

 

 

 

しかし、現在の価値基準は通貨という形をしていますが、

何かの対価として成り立つものが必ずしもお金である必要はない。

というのがここで僕がしたい話の主です。

前置きが長くなってしまい申し訳ありません。

 

そのひとつとして仮想通貨がありますが、

例えば、何かの権利やサービスは対価として成立しないのか?

と言われれば、そんなことはありません。

 

物々交換の時代から、現在の通貨による対価交換の時代へ。

そこから、通貨による対価交換に加えて、

事々交換、事モノ交換、事通貨交換、などなど、

もっとバリエーションが広がる時代が来る。

 

僕は、そんな風に考えていますし、そっちの方が楽しそうです。

 

 

今でも、似たようなことがたくさんあります。

株主優待とか、ポイントカードの特典とか、

まさにそんな感じですよね。

 

うちの会社の株を一定金額購入してくれれば、

サービスや権利を対価(厳密には対価ではないですが)

として相手に渡す。

「月曜から夜更かし」の桐谷さんとかまさにそんな感じです。

 

この例はまだまだ間接的ではありますし、

あくまでも現在の通貨を主軸に置いたものですので

まだまだイメージはしにくいと思います。

僕も、わかりやすいような具体的な例がうまく挙げられません(←おい)

 

堀江さんは、

トークンエコノミー(価値や権利を証券化

がくる、とおっしゃってました。

 

ただ、お金の代わりに、自分の能力や、権利、サービスも

対価として成立する時代は間違いなく来ます。

 

また良い例が浮かんだら更新します。

 

 

 

 

 

 

 

④その他気になったこと一覧

 

  1. ウーバーイーツ面白そう
  2. ARの導入で買い物体験が大幅に変わる
  3. スマートハウスはまだまだ普及しない?
  4. 正確化・平等化しないといけないところはロボットが使われる

 

順に説明していきます。

 

1、ウーバーイーツ

   登録してある店舗の料理を、注文すれば指定の場所に

   届けてくれるサービス。

   ネットでのクレジット決済、美味しいお店のできたてが

   食べられる、割と早く届けてくれる、

   ウーバーに登録している運転手が届けてくれるので、

   雇用の拡大になる、など可能性はたくさんありそうです。

 

2、買い物へのARの導入

   ネットでのクリック購入と、その間にヴァーチャル体験が入る

   のとでは、購買意欲の掻き立てられ方が格段に違う。

   まるで、店舗で手に取ってみたような体験をするだけで、

   感情が入るので人はものを買うようになる。

   そこにARが積極的に導入されるのでは?という話です。

   

   例えば、インターネットでの購入でも、スマホやPC上で

   実物大のものを360°から見てからだとより購入したくなります。

   また、洋服屋でも、指定の服が鏡に着ているように映るような

   技術がもっと積極的に導入されれば、色やサイズ欠けでの

   損失が減ります。

 

 

3、スマートハウスの普及

   広く一般的に普及はまだしないと思いますが、人によって

   必要な機能をピンポイントで導入できるようになれば、

   市場が伸びるのでは?という話が出ていました。

   CONFERENCEで挙がった例では、

     ”帰宅時、家に近くなるとそれをセンサーが感知して、

     部屋の電気をつけておいてくれる機能”

   というなんでもないことでも、一人暮らしの女性にとっては

   安心もするし防犯やストーカー対策にもなるので安心するという

   意見があった、という例です。

   このように、ニーズに合わせて自分用にカスタマイズできるように

   なれば、スマートハウスの普及もあり得そうです。

 

4、ロボットの導入箇所

   これは言わずもがなですが、人によって差異があってはいけない場所

   (正確かつ平等な態度が要求される接客など)への導入は

   これから増えそうです。

   その一方で、臨機応変に対応し、サービスを付加価値として

   求められるようなレストランなどでは、よりそのクオリティが

   求められるようになりそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上が、今回のCONFERENCEのまとめとなります。

 

今はまだそこまで大きく普及していないIoTですが、

これからその数は劇的に増えていくことが予想されます。

 

その時に考えないといけないことは、

人の根源にある、本質的な問題解決ができるものを

作っていくということ。

 

常に人が抱える悩みに目を向け、

どうすれば解決できるか?

ということを頭の念頭に置いておくこと。

 

より人が豊かに、幸せに、笑顔になるものを

作り続けるという気概を持つこと。

 

 

全ての仕事において共通する考え方が、

IoTでも求められるな、と感じました。

 

僕も社会人一年目ですが、

これからの時代の変革の波に楽しく乗れるよう、

常に意識しないとダメだな、と思いました。

 

 

大変長くなりましたが、これで以上となります。

読んでくださりありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう半年


【もう半年】

 

はやいもので、今の会社に入ってから
半年が経ちました。

上半期のまとめをしていなかったので、
この辺で振り返ります。

 

 

 

気付いたことを以下に記します。

 

 

“ 人を好きになること ”
“コミュニケーションの重要性 ”
“ サービス精神 ”
“ 与えることから始まる ”
“ 行動に移すこと ”
“ 自分を大切にする ”
“ 自分と相手に真摯に向き合う ”

 

 


言葉にすると他愛もないですが、
本当に大事なことだと気づきました。

 

 

この半年で

いろんな人と会って
色んな話を聞いて
色んなものを見て
色んなことを感じて

あげるとキリがないので控えますが
刺さったワード第1位はこれでした。

 

 

 

『「こんなことを言ったら嫌われるかも
しれない…」と思うのは、
そんなことで嫌う相手だと自分が
思っているということ。』

 

 

 


刺さりました。

 

 

僕はずっと、嫌われないように、
嫌われないに生きてきました。

でも、それは間違いだったんだと
アドラーを知って気づきました。

それがちょうど一年半前くらいです。

 

 

 

そこから毎日、アドラーを実践し
身についたことやより深く理解できた
こともこの一年半でありました。

しかし、どうも嫌われないように
生きることだけができずに
ずっと心の奥底でモヤモヤしてました。

 

 


そんな時に、ある先輩から頂いた言葉が
上にある言葉です。

自分の中で、複雑に絡まった糸が
するすると解けていく音が聴こえました。

 

 

一本の糸だと思っていなかったものが
全てその言葉で繋がったのです。

まさに目から鱗でした。

 

 

 


そんなこんなで、毎日楽しく生きてます。

まだまだ未熟ではありますが
人との時間を、そして人を大切にし
サービス精神旺盛に
何ができるか?を常に考えながら
誰かの幸せのために生きていけたら
幸せだなぁ、と思います。

 

 

 

 

人が、心と心で通じ合う瞬間は
そうそうないです。

意思疎通でさえも、
言葉を介してしかできない。

だからこそ、人には考える頭があり
触れ合える身体があるんじゃないか。

だからこそ言葉が生まれ
様々なコミュニケーションの手段が
今も生まれ続けているんじゃないか。

自己表現の手段が生まれ続けて
いるんじゃないか。


そんな風に思います。

 

 

 

BLUE GIANT

 

 

 

 

BLUE GIANT

青色巨星。

あまりにも高温になり過ぎることで、

青く光る星のことである。

そこから、一際個性を放ち、光り輝く

ジャズプレイヤーのことを意味する

ようになった。

 

 

というのは、石塚真一さんのジャズ漫画

BLUE GIANT』からの引用です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

漫画好きを豪語しておきながら

つい最近読みました。

 

 

 

《概要》

宮城県仙台市に住む高校生・宮本大はまっすぐな性格の持ち主だが、将来なにをしたいのか分からず学生生活を送っていた。ある日聞いたジャズの曲に興味をひかれ、初めてのライブハウスでのジャズ演奏を目の当たりにして、サックスプレーヤーを目指す。

ウィキペディアより

 

 

 

 

JAZZ。

それは、大人が嗜む

ちょっと敷居の高い音楽。

部屋で流してるとおしゃれ。

 

 

 

正直、ほとんどの人がそういう

イメージだと思います。

僕も読む前はそうでしたし、

部屋で流して勉強とかしてました。笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、これを読むとそのイメージが

ガラリと変わります。

 

熱い。どこまでも熱い。

 

滾るエネルギーが、迸る熱量が、

どんどんどんどん伸びてくる。

こちらに迫ってきて、訴えてくる。

 

 

 

 

 

『 “音楽”は最高に楽しいッ!!!!』

 

 

 

 

 

 

JAZZは、基本的に歌詞がありません。

 

なので、演奏がそのままダイレクトに

感情に直結するんです。

 

喜怒哀楽、今日の気分。

誰かに捧げるための音楽。

自分を表現する音楽。

 

そんな言葉が似合う気がします。

 

 

 

f:id:t_yamazaki:20161024084245p:image

f:id:t_yamazaki:20161024084248p:image

f:id:t_yamazaki:20161024084251p:image

 

 

 

 

 

これは、本作で僕が好きなシーン。

ネタバレになるので、ここで留めておきます。

気になった方は是非読んでね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この漫画は、登場人物達の本気度が

とにかく良い。

こっちも頑張ろうって気持ちになる。

 

 

ここまで、ひとつのことに打ち込み

日々練習に励む。

本人達は練習だと思ってないところが

また良い。

ただやりたくて、ただ楽しくてやってる。

 

生き方の選択。

「俺はこうやって生きる!!!」

 

っていう覚悟。

 

始めた動機やきっかけはそれぞれ

違うものの、そこにあるのは憧れ。

 

初めての快感。度肝を抜かれた瞬間。

 

そんな瞬間にまた出会いたくて、

そんな瞬間を生み出したくて、

ただひたすらにそこを目指す。

 

 

確か、フィギュアスケートの羽生くんも

同じようなことを言っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

きっと、本当にやりたいこと、

本当に好きなことっていうのは

そういうものなのかなって思います。

 

だからこそ、その姿に感動する。

そこにあるのは、その人そのものだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分にも、ここまで本気になれるものは

あるのか?と自問自答してしまう。

そうせざるを得ない。

 

しかし、嫌な気持ちは全くない。

むしろ、何をやってやろうか…!!!

とパワーが湧いてくる。

 

 

 

 

この漫画に出会えて、僕は幸せです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

終わり