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魚系男子の気まぐれ日記

子供な僕が日々大人になっていく様子をお届けしたりします。

四半世紀生きてみた。

 

 

 

 

 


“25年生きた”

 

 

という感覚が未だにわかりません。

アドラーの言うように
きっと刹那的な瞬間の繋がりなので
線として長さを測ることができないのが
人生なのかなと思います。

 

でも、この25年の中での
刹那的な瞬間自体は
たくさん僕の中に詰まってます。


僕はアドラーと出逢ってから
『過去が今を形成している』
という原因論を否定していて、
目的論に立つようになりました。


今から、少しだけその話をします。

興味のある人は下へ
興味のない人は戻るへ
お進みください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それ以上でもそれ以下でもなく、
ただ事実として“ 言葉 ”を捉えることは
非常に難しいです。

僕は、嫌な方へ考えてしまう癖が
ずっとありました。
(あくまでも過去形で話します。)

 


『いや、その日はちょっと予定が…』

(予定の日直前)
『ちょっと無理になってしまって…』

 


そんなことが、よくあります。
この言葉を、ただそのままの意味で
受け取れたら、どれほど幸せか。
そんな風に思っていました。


しかし、アドラーと出逢ってから
この考え方は見事に僕を奈落の底へと
突き落としてくれました。

 

「僕とご飯行きたくないんやろな…」

「話しても楽しくないしな…」

「まあ別にいいけど、僕変わってるし」

 

そんな風に思ってきました。

この言い訳のような言葉。
何故そう思うのか?

答えは明白でした。
僕が普段からそう思って人と接し
事実そんな態度を取っていたという
まぎれもない証でした。

 

人は、誰かの言葉を受け取るとき。
自分の中で咀嚼するとき。

必ず “ 自分 ” というフィルタを通します。

自分の考え方、価値観、思考回路などの
ありとあらゆるフィルタを通して
やっと言葉を感情として受け取ります。

でないとその言葉の意味を
理解できないからです。

 

そう考えると、

「こいつは僕と会いたくないから、
話したくないから、何かと理由をつけて
断ろうとしてるんだ。」

と感じてしまうのは、
そういう自分フィルタを通して
いるからなのかと思いました。


《自分だったらこう思うだろう》


よく、他人は鏡なんて言いますが、
相手の言葉の受け取り方は
まさしく言葉の通りでした。

 

 

 


ここで、目的論の話へ戻ります。
僕は、自分がこういう性格になったのは
少なからず過去に起因しているものだと
思っていました。

不器用で、空気が読めなくて、
変わり者で、人とうまく話せなくて。

そういう自分が嫌いでしたし、
変えられないものだと思っていました。

しかし、アドラーと出逢ってから
それは間違いだったと気付きました。

上で挙げた色々な欠点は
自分がそう思うことで改善する努力を
怠るためだったと気付きました。

性格だと言えば直さなくていいし、
楽ができると思っている証拠でした。

 

 

 

 

しかし、ともするならば。

逆に言えば、気持ちひとつで
いくらでも自分を変えられる
ということではないか?

そう思うと、絶望が希望へと
一転してしまいました。

この感覚が、僕の中で衝撃でした。

 

 

 


ここまでくるのに、25年かかりました。
でも、ここまでこれました。

人は、何気ない出来事を積み重ね
なんでもないような日々の中で
ほんの少しであっても
しかし確実に進歩しています。


今は立ち止まっていたとしても。
どうして生きているのかわからないとしても。

気持ちを前に向ければ。
そのきっかけさえあれば。

 

 

そんな気持ちを生み出したいと思い、
僕は今コツコツと形にできるように
考えています。

少しずつ、少しずつ。
僕は前へと歩を進めます。

 

 

 

 

終わり