“ 主観 ” に生きる(前編)
風邪、引いてませんか…?
人肌恋しくなる季節の到来。
心も体も暖まりましょう。
今回のテーマは 主観 です。
アドラー心理学を知っている方は聞いたことがあるかもしれませんが、人は誰しも自分の主観的な世界の住人です。
まずは、そのことについて書きます。
皆さん、井戸は知っていますよね。
この、貞子が登場してくるやつです。
※写真はイメージです
この井戸の中の水、実は年中18度くらいで一定だということはご存知ですか?
知らなかった人は、これを機に覚えてみては如何でしょうか。
…と、なぜ急に井戸の水の話をしたのかといいますと、これが主観の話と関係するからです。
井戸の中の水の温度は、常に一定。
しかし、夏になれば冷たく感じ、冬になれば温かく感じる。
なぜ同じ温度であるにも関わらず、季節によって感じ方が違うのか。
それは、外の温度が違うからです。
ええ、ええ。言われなくてもわかってると言いたいんでしょう。ごもっともです。
ここで言いたいことは、同じ温度の井戸の水でも、季節によって感じ方が変わること。
つまり
どんな世界にいるかで、同じものでも違った感じ方や見え方になる
ということです。
そして、その世界とは自分の主観的な世界のことです。
人は、常にこの自分の世界観を通して、物事を見ます。誰一人として、例外なくです。
僕はこれを、
“自分フィルターを通す”
と言っています。
自分フィルターは、自分の世界観であり、価値観であり、考え方です。
人は、目に見えるものから見えないものまで、このフィルターを通して受け取り、そして発信します。
例えば、ボランティアや募金活動。
これは、偽善でしょうか?
『いい人』だと思われたくて、あくまでも自分のために、自分の周りからの評価のためにやっていることなのでしょうか。
確かにそういう見方もできるでしょう。
しかし、それは客観的に見てどうとか、世間一般ではそう言われているとか、そういうことは全く関係なく、自分がそう考えているから、そう【映る】だけの話です。
本気で海を綺麗にしたくて、少しでも海水浴を楽しんでもらいたいという想いでごみ拾いのボランティアをする人もいますし、本気で被災地の人達のために何か行動したいという想いで募金活動をしている人もいます。
その人達の心境は、どういったものでしょうか?
きっと、同じ国に住む仲間、同じ地球に住むかけがえのない仲間・運命共同体として、ほっておくことができない、少しでも力になりたい!という気持ちがあるのではないでしょうか。
また、目の前の人を“敵”と思うか、“味方” “と思うか。
どちらの方が幸せでしょうか。
敵は、倒さなければなりません。
自分と競争し、対立し、お互いに蹴落とし、椅子取りゲームをするような関係性だからです。
そして、仮に勝ったとして、それは幸せでしょうか?
自己満足だけが残り、終わりのない承認欲求だけが満たされ、また一人、仲間が減るだけではないでしょうか。
ならば、協力し合い、お互いの良いところを引き出しあい、より良いもの、より素晴らしい時間のためにエネルギーを使った方が幸せではありませんか?
勿論、どちらが良い悪いという問題ではありません。
何かを善とし、その対極や逆を悪としてしまうことは非常に危険です。
自分の価値観や考え方を一方的に押し付けることは、絶対にしてはなりません。
しかし、目の前にあるのは
ただボランティアや募金活動が行われているという事実
だけであり、それをどう見るか・見えるかは、自分の問題なのです。
であるならば、受容的に、ポジティブに受け止め、自分も同じ地球の仲間、協力し合える、手を取り合える仲間だと思う自分でいる方が、僕は幸せだと思います。
そして、今目の前に広がっている世界それ自体には対した意味がないのであれば、言ってしまえば
自分の考え方を変えるだけで、世界の見え方はいくらでも変わる
ということです。
これを読んで、少しでも自分の心に素直になり、幸せに感じられる世界観を構築してもらえるきっかけになれば、幸いです。
次回は、ここからまた視点を変えて、主観について書いていきたいと思います。
終わり