魚系男子の気まぐれ日記

子供な僕が日々大人になっていく様子をお届けしたりします。

2017年12月7日

僕が真理だと思っていることは2つあります。

 

時間だけが人間にとってただ一つ平等なこと。

とにかく行動に起こして、世の中に発表した奴が勝ちだということ。

 

この二つです。

 

 

僕は、人生や人間に勝ち負けはないと考えていますが、

ここではあえて「勝ち」という言葉を使っています。

 

それは、その方が人に響くと思ったから。

 

 

伝え方が9割、という本があるように、

本当に使う言葉によって伝えたいメッセージは180°変わります。

 

死にたくない。よりも、生きたい。

好きじゃない。よりも、嫌い。

 

これらの言葉は、個人的に全く意味の異なる言葉だと思いますが、

聞く人によっては似たような意味にとられることもあります。

 

言葉の持つ力、ニュアンスというのはこんな些細なことで

変わってしまうのだと、恐ろしくも感じます。

 

自分が何気なく発信している言葉が、聞く人によれば

最高と最悪の言葉になりうる。

 

ワクワクしませんか。ぞくぞくしませんか。

僕はします。同時に怖いです。

 

 

コインの裏と表、正義と悪、好きと嫌い。

物事は常に表裏一体で、両方の側面を孕んでいる。

それこそが真理である。

そんな風に言う人が結構いるように僕は思います。

 

一方が好きということは、その反対側は嫌いということでしょう?

自分が正義だというならば、正反対の思想を持つ人は悪でしょう?

 

 

それは違う。断じて違う。

物事は、そんな相対的な評価で決まると僕は思いません。

 

 

僕は、何事も常に絶対的なもので、唯一無二だと考えています。

 

好きという気持ちは、ただそれのみが存在していて、

他に比べることのできない、かけがいのない感情。

 

あの人が好きだからって、あの人と仲の悪い人が嫌いってことには

決してならないでしょう。その人が好きだっていい。

どうしてそう、すぐにどちらかに寄りたくなるのだろう。

 

不思議に思うことがある。生きていればそういう瞬間が多々ある。

 

きっとそれは、人間が社会性のある生き物で、

そうすることで自分の身を守ってきたからだと。

そう思う。それでしか説明できない気がする。

 

 

言葉というものは、つまり記号で、

ネーミングであり、ラベリングであり、カテゴリであり、

名前のないものに名前をつけることである。

 

 

今、自分の目の前にあるものが何かわからなければ、

それを言葉として定義できないならば、

社会的には存在しないことになる。

 

今、自分の中にある感情が、何かわかっていたとしても、

それを言葉にできなければ人に伝えることはできないし、

自分で認識することもできない。

 

でも、確かに在るという感覚だけは残っている。

手が届きそうで届かない、歯がゆくてむず痒い。

そんな気持ちになる。

 

 

その気持ちは愛おしい。手に取って余りあるほど愛すべきもの。

 

 

名前をつけることは恐ろしい。

それだけで力を持つ。人を動かすエネルギーが宿る。

言葉の持つ重みというのは、

想像できないほどである。

 

その重さは、足にまとわりつき、手枷をはめ、

口を塞ぎ、背中にのしかかる。

 

その責任感、重圧というものから自由になるには。

 

 

書いていてふと疑問に思った。

答えはまだ持ち合わせていない。

そのうち書きます。

 

 

今日はこの辺で。

毎日こうやって勢いで書いていって、

残った文章を後から読み返して。

 

おかしければ訂正ないし削除していきます。

 

とにかく書いて出すこと。毎日続けること。

これを目標に。