魚系男子の気まぐれ日記

子供な僕が日々大人になっていく様子をお届けしたりします。

2017/12/21

 

人というのは不思議なもので

自分の都合のいいように

物事を解釈する。

 

 

それは自己防衛でもあるし

自我が崩壊しないための

必要な解釈だとも思う。

 

 

ただ、それが必ずしも

他人にとってもいいものであるかは

わからない。

人によって感じ方も捉え方も

違うのだから

良いと思う人も悪いと思う人も

両方いる。それが当たり前。

 

 

できれば、他人にも

優しいものであれば

いいのだけれど

 

 

そんなところまで

いつも気が回るほど

強い生き物でないのも

人間である証拠。

 

 

人を殺してはいけない。

傷つけてはいけない。

バカにしてはいけない。

偉ぶってはいけない。

人は皆平等であるべきだ。

差別なんて以ての外だ。

 

 

素晴らしい。

素晴らしいけど

そんな「〜であるべき」思考や

「〜でなければいけない」思考に

囚われてはいないだろうか。

 

 

人であるなら誰しも間違う。

時には取り返しのつかないこともする。

 

それを容認しているわけではない。

 

 

問題なのは

自分の気持ちを正直に認められず

他人の価値観に縛られて

いつのまにか疲弊してしまうことだ。

 

 

それによってふと衝動的な気持ちに

駆られてしまうことだ。

行動に移してしまうことだ。

 

 

そこまで来たら

もう誰にも止められない。

自分ですら無理なのだから。

 

 

でもだからといって

その人が全て悪いのか?

 

 

間違いを犯した人は皆

徹底的に糾弾され

誹謗中傷的な言葉を浴びせられ

心が傷つかなくてはいけないのか。

 

 

そんなことは絶対にない。

 

 

 

その人の心は既にボロボロ。

だから間違いを犯してしまったのだ。

誰にも起こりうる可能性のあるもの。

 

 

 

もちろん、だからといって

犯罪者を野放しにしておいたり

罪を受けなくていいと

言っているわけではない。

 

 

間違いは償って然るべきだ。

 

だが

その人を攻めていい権利なんてものは

誰も持ち合わせていないし

社会的に復帰不可能な状況に

追い込んでいいはずはないのだ。

 

 

それはいずれ自分にも返ってくる。

そのことを深く認識するべきだ。

 

 

 

 

 

何がその人をそこまで追い込んだのか。

なぜそこまで傷ついてしまったのか。

 

 

理由はわからないのかもしれないし

元々の資質や育った環境も

関係しているとも思う。

 

 

一概に原因論に落とし込むことは

できない。

 

 

では何が目的だったのか。

それによって得たかった感情は

何だったのか。

 

 

 

救われたかったのか。

怒って欲しかったのか。

 

 

 

どんな感情を求めていたのか。

どんな精神状態だったのか。

何から逃げたかったのか。

何を手に入れたかったのか。

 

 

 

その人の心の奥深くを蝕む

ものは一体何なのだろうか。

 

 

 

 

それをその人自身が認めて

その気持ちと向き合って

いかないといけない。

そうしないと根本的な解決には

至らない。

 

 

それはかなり苦しいものだし

時には向き合いたくなくなったり

どうしても怒りや不安の感情が

溢れてきて

攻撃的になってしまうかもしれない。

 

 

 

それでも。

向き合っていくしかないのだ。

認めて前を向いていく努力を

しないとダメなのだ。

 

 

でないと

いつかそれに自分自身が

のまれてしまう日が来てしまう。

 

 

 

それが不幸かどうかはわからないが

幸せなものであることはない。

 

 

 

良い人生にするために

幸せになるために

好きな人を幸せにするために

必要なことなんだ。