魚系男子の気まぐれ日記

子供な僕が日々大人になっていく様子をお届けしたりします。

死生観

 

私たちは、死ぬために生きている。

死に向かって生きている。

 

人ならば、いずれ死ぬもの。

かけがえのない命であると同時に、

必ず消失してしまうもの。

 

それが命。

 

 

森山直太朗さんの

『生きてることが辛いなら』

という歌がある。

 

 

“ 生きてることが辛いなら

くたばる喜びとっておけ ”

 

 

本当に良い歌詞。

 

 

明石家さんまさんも

“ 生きてるだけで丸儲け ”

という言葉を残している。

 

 

どうしようもないときもある。

苦しくて耐えられなくて

いっそ投げ出してしまおうか。

楽になってしまおうか。

 

 

いけない。

衝動的になっては断じてならない。

 

 

 

過去は清算できない。

後悔はリセットできない。

罪の意識は生きている限り付いて回るし

今日までの日々をなかったことには

決してできない。

全て背負って生きていくしかない。

 

 

生きるとは、

そういうことだと僕は思う。

 

 

 

だからこそ

毎日はかけがえのないもので

二度と取り戻せない日々であり

 

色んなものを抱えながら

背負いながら生きていく中で

楽しさや生き甲斐を見つけて

いくことで毎日が楽しくなる。

 

 

大義名分を掲げなくてもいい。

大層なことでなくてもいい。

 

 

ただ自分の幸せと

自分の周りの人の幸せ。

可能なら世界にいる他人の幸せだけを

考えて生きればいい。

 

 

人が幸せになることで

自分も幸せになる道を信じて

歩いていけばいい。

 

 

職業に貴賎はない。

立場が違っても、お金持ちでも

どこかの社長でも、一サラリーマンでも

人としては皆対等である。

 

 

平等かどうかはわからない。

けど

少なくとも人を傷つけていいはずがないし

職業や立場や人種が違っても

偉ぶったり馬鹿にしていいはずがない。

 

人は皆、それぞれ役割があって

自分の力を生かせる場所で

自分が自分の力を信じて

生かしたいと思える場所で

助け合いながら

支え合いながら

お互い様の精神で生きていけばいい。

 

得手不得手を認めればいい。

得意分野で活躍すればいい。

 

 

自分がなりたいように

自分が幸せで楽しく在れるように

生きていけばいい。

 

 

その自由がなくして何が自由だ。

 

 

失敗して泣いて立ち直って

そうやって生きていくことの

どこが恥ずかしい。

どこが悪い。

 

その自由がないなら自由とは言えない。

 

 

 

逃げていい。

休めばいい。

やり直せばいい。

 

 

生きてさえいれば

生きることから逃げなければ

どうにでもなる。

 

 

助けてくれる人はいくらでもいる。

助けを求めればいい。

泣いて叫べばいい。

 

 

手を差し伸べてくれる人は必ずいる。

 

 

 

そこからまた始めればいい。