魚系男子の気まぐれ日記

子供な僕が日々大人になっていく様子をお届けしたりします。

お洒落とは

 

この世には、主観的なお洒落と

客観的なお洒落がある。

 

前者はどう在りたいか。

後者はどう見られたいか。

 

 

僕は前者だ。

主観的、というよりかは

自己満足と言った方がいい。

自己表現なのである。

 

 

ただ装いを飾るだけでない。

好きな国や文化、時代、音楽、スタイル。

シルエットや服飾の素材。

ブランドのバックグラウンド。

デザイナーが込めたコンセプト。

服が完成するまでの過程。

 

 

それらを“着る”のである。

見てくれを装うのではない。

自分を発信していくのである。

 

 

僕の場合は、抜けたクラシックのような

スタイルを大変好む。

 

 

伝統的でクラシックな装いの中に

好奇心の強さをイメージして

少し外した遊び心を入れる。

 

 

鈍臭いところもあるため

カッコつけすぎないように

ルーズで野暮ったい雰囲気も

取り入れたりする。

 

 

それが自分なのだ。

そう着ることで

自分が自分であれるし

自分らしく生きることができる。

 

 

服とは、お洒落とは

そういうものであるからこそ

 

数多のブランドが立ち上がり

その数だけデザイナーや

パタンナーの手から

「こう“在って”ほしい」という

想いが込められた

唯一無二の世界観が生まれる。

 

そこに時間と労力を注ぎ

人生をかけて服を創る。

 

ものづくりの真髄がある。

 

 

だから、僕は高いお金を出してでも

本当に良い服を着たい。

2017年12月7日

僕が真理だと思っていることは2つあります。

 

時間だけが人間にとってただ一つ平等なこと。

とにかく行動に起こして、世の中に発表した奴が勝ちだということ。

 

この二つです。

 

 

僕は、人生や人間に勝ち負けはないと考えていますが、

ここではあえて「勝ち」という言葉を使っています。

 

それは、その方が人に響くと思ったから。

 

 

伝え方が9割、という本があるように、

本当に使う言葉によって伝えたいメッセージは180°変わります。

 

死にたくない。よりも、生きたい。

好きじゃない。よりも、嫌い。

 

これらの言葉は、個人的に全く意味の異なる言葉だと思いますが、

聞く人によっては似たような意味にとられることもあります。

 

言葉の持つ力、ニュアンスというのはこんな些細なことで

変わってしまうのだと、恐ろしくも感じます。

 

自分が何気なく発信している言葉が、聞く人によれば

最高と最悪の言葉になりうる。

 

ワクワクしませんか。ぞくぞくしませんか。

僕はします。同時に怖いです。

 

 

コインの裏と表、正義と悪、好きと嫌い。

物事は常に表裏一体で、両方の側面を孕んでいる。

それこそが真理である。

そんな風に言う人が結構いるように僕は思います。

 

一方が好きということは、その反対側は嫌いということでしょう?

自分が正義だというならば、正反対の思想を持つ人は悪でしょう?

 

 

それは違う。断じて違う。

物事は、そんな相対的な評価で決まると僕は思いません。

 

 

僕は、何事も常に絶対的なもので、唯一無二だと考えています。

 

好きという気持ちは、ただそれのみが存在していて、

他に比べることのできない、かけがいのない感情。

 

あの人が好きだからって、あの人と仲の悪い人が嫌いってことには

決してならないでしょう。その人が好きだっていい。

どうしてそう、すぐにどちらかに寄りたくなるのだろう。

 

不思議に思うことがある。生きていればそういう瞬間が多々ある。

 

きっとそれは、人間が社会性のある生き物で、

そうすることで自分の身を守ってきたからだと。

そう思う。それでしか説明できない気がする。

 

 

言葉というものは、つまり記号で、

ネーミングであり、ラベリングであり、カテゴリであり、

名前のないものに名前をつけることである。

 

 

今、自分の目の前にあるものが何かわからなければ、

それを言葉として定義できないならば、

社会的には存在しないことになる。

 

今、自分の中にある感情が、何かわかっていたとしても、

それを言葉にできなければ人に伝えることはできないし、

自分で認識することもできない。

 

でも、確かに在るという感覚だけは残っている。

手が届きそうで届かない、歯がゆくてむず痒い。

そんな気持ちになる。

 

 

その気持ちは愛おしい。手に取って余りあるほど愛すべきもの。

 

 

名前をつけることは恐ろしい。

それだけで力を持つ。人を動かすエネルギーが宿る。

言葉の持つ重みというのは、

想像できないほどである。

 

その重さは、足にまとわりつき、手枷をはめ、

口を塞ぎ、背中にのしかかる。

 

その責任感、重圧というものから自由になるには。

 

 

書いていてふと疑問に思った。

答えはまだ持ち合わせていない。

そのうち書きます。

 

 

今日はこの辺で。

毎日こうやって勢いで書いていって、

残った文章を後から読み返して。

 

おかしければ訂正ないし削除していきます。

 

とにかく書いて出すこと。毎日続けること。

これを目標に。

お金がない、ということ。

 

 

 

お金がないことは、

僕はいいことだと思います。

 

 

じゃあ飢え死にしてもいいのか、と

言われそうですが、もちろん必要最低限の

生活はできた方がいいです。

そういう話ではありません。

 

 

 

 


お金がないと、本当に大切なものしか

買わなくなります。

本当に大切なことにしか

使わなくなります。

本質を見極める力が養えます。

 

 

 

 


お金がないと、楽をしなくなります。

でも少しばかり余裕を生み出せるように

工夫をするようになります。

その時間と労力が

生きる知恵に変わります。

 

 

 

 

 


お金がないと、

本当の財産は自分と他人と時間だと

いうことに気付きます。

人と過ごす何気ないひと時が

幸せなことなんだと気付きます。

笑顔でいることが

何よりの元気の秘訣であり、

人を笑顔にする秘訣だということに

気付きます。

 

 

 

 


僕が言いたいことは、そういうことです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「美女と野獣」を観ました。

 

 

 

 

この物語の本質は
『運命の人などいない』ということ、
そして、愛することの素晴らしさと
難しさだと僕は思う。

 

「人を外見で判断せず、中身を見よ」


というのがこの作品のテーマの一つだと
思うが、その他にも重要なテーマが
この作品にはあると感じた。

 

 

ベルと王子(野獣)は、
生まれた環境や育ちは違えど
お互いに幼き頃に母を亡くしている
という共通項が前提としてある。

そして、この二人の相違点としては
王子は威厳があり規律を重んじる
父親に育てられ、母親から愛される
という経験が浅かったこと、
一方でベルは慈悲を重んじる父親
無償の愛を注がれ育てられたということ。

母の愛は無償であり
父の愛は条件付きの愛である
というのはエーリッヒ・フロムの
「愛する技術」という本に書いてあるが
ここでは趣旨からズレるので割愛する。
非常に読む価値のある本なので
こちらも是非読んでもらいたい。

 

 

 


そして、もう一つ重要な点として
この二人は偶然にも恋に落ちたのではなく
お互いに愛を育んだ(もう少し厳密に
言うなら、ベルの愛に触れ王子が
愛することを学んだ)ことである。

 

 

 

 

一目惚れでもなく
何か共通点があったわけでもないが
お互いが相手のことを知ろうとし
理解しようとしたこと、
そして相手を思いやったことで
次第に惹かれあっていったことが
この物語の中での重要なテーマの一つである。

性別を越え種の違いを越え
心と心で結びついたこと、
必要だから愛するという順序でなく
愛しているから必要であるという
順序であったこと。
この二点が現代の恋愛において
欠けている点であり、
真にパートナーとして愛するということが
現代の恋愛にはあまり見られない点である。

将来を案じ、自分のレベルに合わせ妥協し
表面の性的な魅力や経済的な面でのみ
相手を判断する恋愛が現代は非常に多い。

お互いに自立しておらず
二人で一つ、相手なしでは考えられないなど
共依存の関係の上に成り立つ恋愛は
確実に幸せになれない関係といえる。
なぜなら、自分の空白を埋めるために
相手を利用しているのであり
自己の抑圧した感情を相手に投影することで
成立している恋愛だからである。
この段階から脱却しない限り、
すなわち幼稚な恋愛から脱却しない限り
良好なパートナー関係は築けない。
いずれどちらかの精神のバランスが崩れ
お互いに崩壊していくことが予想される。

 

 

 

そうならないためにも、
この物語からは学ぶ点が非常に多く
フィクションや夢物語としてでなく
愛するということのバイブルとして
機能すると思われる。
(というより、そういう側面が強いので
今もなお至極のラブストーリーとして
長く語り継がれている気がする。)

 

※話の内容自体は知れ渡っているので
特にネタバレを意識しなくていいのが
書く上で嬉しい限り。笑

試行錯誤

 

 

 

 

 

おはようございます。

今日は試行錯誤のお話です。

 

以下、先日僕が経験して

感じたことを記します。

(人間関係についてです)

 

 

 

 

 

 

『失敗は成功の元』

トライアンドエラー

 

 

どちらも試行錯誤と同様に

大切なことです。

 

 

プログラミングではこれができないと

ほんとに詰みます。ほんとに。笑

ただ、ダメならすぐに修正できるので

その点コンピュータはまだいい。

 

 

難しいのは、やはり人間関係。

 

交友関係においても

恋愛関係においても

家族関係においても

 

相手の気持ちは聞かないとわからないし

完璧に理解するなんてことはできない。

 

だからこそ、そこに思いやりや愛情、

信頼って言葉が出てくるんだけど

まだ経験したことのない痛みを知ることに

人間はとても臆病な生き物だと思います。

 

失敗は怖い。

でも失敗しないと、自分の痛みも

相手の痛みもわからない。

 

 

相手のために、と思ってしたことが

必ずしもそうなるわけではないし

何がない一言がその人を救ったり

奈落の底へと落としてしまったりする。

 

そうやって葛藤しながら

人は成長していくものだと思います。

 

 

 

 

そう考えた時

 

「「じゃあどんどん失敗しよう!」」

 

と考えるのは必然なのですが

その時コンピュータと違う点が

あるなと感じたことが

今回の主題です。

前置きが長くなりました。

 

 

 

結論から言います。

 

人間関係においての失敗で大切なのは

失敗することではなく

 

《どう失敗するか?》

 

ということだと思いました。

 

 

上で述べたように

人は様々な人との関係を築いていく過程で

人の痛みを知り、貢献する喜びを知り

成長していくと書きました。

 

 

しかし、

それは自分の成長のためだけのもの?

という疑問が生まれました。

 

答えはノーです。

 

勿論、失敗は大事です。

一人でモヤモヤしていても仕方ないので

想いを伝えたり行動したりします。

 

すると、成功したり失敗したり

思った通りにいかないことがあります。

むしろ圧倒的にその方が多いです。

 

そこで、反省して学んで

次につなげる努力が必要になるのですが

ここで僕は思いました。

 

『これでいいのか?』

 

と。

相手を思ってやったことだったり

嫌われるかもしれないと思っていても

伝えたいことであったり。

 

そういった障壁を乗り越えて

踏み出した一歩から得られるものは

ものすごく多いし大きい。

 

でも、成長するのは自分だけでいいのか?

そのために人がいるのか?

そうではないんじゃないのか?

 

そんな風に思うことがありました。

 

自分にとっても、相手にとっても

お互いに成長していけるような

失敗の仕方をしないとダメなんじゃないか?

 

僕はそう思いました。

 

 

 

どうすればお互いに成長できるか?

ハッピーになれるか?

 

そのために思いやりが生まれて

相手の立場に立つって考えが生まれる。

 

そうやって失敗することが

大切なんじゃないか。

 

 

そんなことを考えながら日々人と

接しないとダメだな、と

いうことを伝えるための内容でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

MOROHAの革命を聴きました

 

 

 

 

 

人生ってなんだろう。

生きるってなんだろう。

 

 

 

そんな壮大な問いの答えが

この曲に詰まっている気がする。

 

 

 

 

この曲を聴いて感じたこと。

それは、僕らは誰しも

広いキャンバスに絵を描く

アーティストだということ。

 

 

『人生』

 

 

という一枚の絵を描くための過程が

生きるということ。

 

 

 

 

…でも、先にどんな絵にするかを

考えてはいけない。

 

 

 

そこが普通の絵を描くこととの違い。

僕らは人生を描かなければいけない。

 

 

 

 

じゃあどう描くか?

 

 

 

 

 

描きたいように描けばいい。

絵を描くこと自体を楽しめばいい。

 

 

 

 

 

たとえいつ死んだとしても

 

 

「ああ、いい絵が描けたな。」

 

 

 

って思えるように生きればいい。

 

 

 

 

自分の絵に誰にも文句は言わせない。

汚ったない絵だなって笑われたっていい。

 

 

 

自分が素晴らしいと思う絵が描けていれば

それだけで幸せだと思うんだ。

 

 

 

 

 

そんな風に生きているだろうか。

 

 

 

この歌が少しでも多くの人に

届くと嬉しい。

 

 

 

ぜひ聴いてみてください。

 

https://youtu.be/Xsm-l10gjIc

 

 

平等ではないけれど対等

 

 

 

 

男女平等。差別するな。

 

嫌いな言葉です。

 

 

 

 

 

平等ってなんでしょうか。

僕は、『皆等しく、同等の権利・義務・環境を持つ』ことを指すと思ってます。

 

 

しかし、そんなこと可能でしょうか。

僕は無理だと思います。

無理だというより、そもそも人によって千差万別なのに、それを一緒くたにしようという発想が間違いだと思います。

 

 

男性にできることがあれば、女性にできることもある。共通しててきることもある。また、身体的なハンディを持っているかいないか。挙げだしたらキリがないです。

 

 

でも、そんなの人によって対応を変えればいいだけの話だと思います。

人それぞれ事情があります。それを補い合って支え合うのが社会であり人だと思います。

 

 

 

平等ではないけれど対等。

皆等しく“ 人 ”という括りで対等であり、上下も優劣も存在しないと思います。

 

 

立場や環境、性別、年齢、人種。

差こそあれ、根本には人として対等という姿勢を皆が持てば、それで十分だと思います。

 

 

 

 

 

 

終わり