魚系男子の気まぐれ日記

子供な僕が日々大人になっていく様子をお届けしたりします。

子連れのお母さんに言いたい。

 

 

ビクビクしながら、

肩身を狭くして

生きなくていいです。

 

 

 

子供は、泣くのが仕事。

遊ぶのが仕事。

そして、迷惑かけるのが仕事。

 

 

そうやって僕も生まれて、

大きくなった。

皆いっぱい、色んな人に迷惑かけながら

育ってるはずなんだ。

 

 

なのに、他人事になると

自分の都合ばかり考える。

 

 

 

 

 

お母さん。

何も恥じる必要はないし

堂々と子供と接してください。

 

一緒にいられるその時間を

めいっぱい大切にして楽しんで

子供と向き合ってください。

 

 

 

少なくとも僕は

全力でそれを笑顔で見守ります。

時には一緒になって遊びます。

 

 

 

だから、どうか。

ビクビクしないで欲しい。

 

 

 

 

子供も、わざわざ迷惑かけようと

してるわけじゃない。

 

ただ、それが迷惑なことだと

わかってないだけ。

 

 

考える頭があるんだから、

闇雲に押さえつけるのではなく

「なぜ迷惑なのか?」を

子供に考えさせるのは親の仕事。

 

 

 

また、迷惑だとわかってやってたとしても

それはかまって欲しい合図。

 

 

子供は、やっぱり寂しい。

お母さんと遊びたい。

かまってほしい。

 

シンプルに、家族と触れ合いたい。

 

 

そんな風に思いながら

でもどうすることもできず

かまってもらえる手段を考える。

 

 

だから、子供が泣き出した時。

急に大きな声を出したり、

暴れ出したりした時。

 

 

ただ怒るんじゃなく、

「どうした?」と聞いてください。

 

 

 

こちらの言うことと

反対のことをしだしても、

怒らないでください。

 

待ってあげてください。

 

 

反発したくなるのは、

愛してほしいから。

 

 

子供は、ただ愛してほしいんです。

 

 

 

子供は、

体こそまだ小さいですが

既に立派に自分で考える頭を

持っています。

 

 

大人よりも人を観察し

感受性も豊かで敏感です。

 

 

だから、信じてください。

子供を信じてください。

 

 

子供は、それに応えて

きっと自主的に物事を捉え

自分の頭で考えて

行動するようになるはず。

 

 

 

だから、

お母さんも、

お父さんも、

周りの人全て、

温かい目で見守ってほしい。

 

 

子供も一人の人間。

僕たちと同じ、

一人の人間なのです。

 

 

 

ってことが、

ふと頭の中をよぎった。

 

 

 

世界がもっと優しくなりますように。

 

 

 

 

終わり

 

 

他人事

 

 

僕には、夢がある。

 

 

それは、世界を回ること。

 

 

 

ありきたりだと思う人もいるだろう。

 

でも、僕にとっては大きな、

とても大きな夢なのである。

 

 

理由を説明する。

 

 

僕は、アドラーの哲学に出逢ってから、

その考え方に共感し、やがて自分の中で

それはかけがえのない “芯” になった。

 

 

僕にとってそれは、

だから事件であったし、

一寸の光が差し込んだ瞬間であった。

 

 

それから少しずつ、

実践を通してアドラーを理解した。

いや、今もしている。

 

この旅にきっと終わりはない。

 

哲学とは学び続けることであるから。

と本に書いてあった。

 

 

 

その中で僕は、

 

今世界で起こっていることがどうしても

他人事にしか思えない自分がいる

 

ことに気付いた。

 

 

遠く離れたその地で、

食べるものがなく死んでいく人がいる。

 

 

英語のニュースで、

ヨーロッパで暴動があったことを知る。

 

 

ただ、それを見聞きても、

僕はそれを同じ地球に住んでいる

仲間の話だと思えなかった。

今も思えないでいる。

 

 

それは、知らないからだ。

 

 

人は、知らないことに寄り添えない。

想像することができないからだ。

 

 

だから、僕は知りたい。

この目でしかと受け止めたい。

 

 

その上で、僕はアドラーの哲学にある

共同体感覚」を理解したい。

 

 

そう思うようになった。

 

 

必ず実現する。

 

 

やろうと思えば、

人はいつだって、

なんだってできる。

 

 

僕は、人間の可能性を、

そして自分の可能性を

心から信じている。

 

 

 

僕は、世界中の人に寄り添いたい。

 

 

 

 

終わり

 

 

 

『サラバ!』

 

僕は、この本が大好きだ。

 

 

西加奈子さんの作品で、

昨年人気のあった本。

 

 

元々この人の作品はどれも好きで、

映画になった「円卓」なんかも

お気に入りだったりする。

 

 

この人の描く人物が発する言葉は

どこか真実味を帯びており

ハッとさせられることが多い。

 

その言葉選びに、句読点の打ち方に、

だから僕は心底惚れてしまった。

 

胸に突き刺さるのだ。

 

 

 

その中でも、特に好きなのがこの本。

この本には、西さんの【生きる覚悟】が

刻まれている。

 

 

 

自分の信じるものを、見つける旅。

人生とは、きっとそういう旅のことだと

この本を読んで思った。

 

 

種を蒔き、土に植え、水をやる。

そしてすくすくと育て、

いずれ太い幹となり、

自分の心の柱になる。

 

それをやるのは、

生まれてすぐは母であり、父であり、

もしくは兄弟姉妹である。

 

が、少しするとそれは自分になる。

 

 

誰のものでもないこの生を、

人生という旅を生きることを、

紛れもない自分でやることになる。

 

 

常に今と向き合っていかないと、

すぐに枯れる。

 

昔は煌びやかに咲いていたとしても、

時が経てば必ず枯れる。

 

 

しかし、それを何回も繰り返し、

力強い木が育ってくると、

それはどんどん太くなり、

そして至る枝に花を咲かせ、

人に幸せを与えるようになる。

 

 

人の生とは、その過程である。

 

 

そんな風に思わせてくれるのが、

この『サラバ!』という本だ。

 

 

 

まだ読んだことがない人にも、

是非一度読んでもらいたい。

 

 

 

終わり

 

 

 

 

いつから人は思いやりを亡くしてしまったのか

 

こんばんは。

 

なんだか日記みたいになってきました。

元々文を書くのは大好きなので苦ではない。

 

今日は、悲しいことがあった、というよりかは

前からずっと思っていたことを。

 

内容的に少しばかりネガティブになるので、

気を煩わせてしまったらごめんなさい。

 

 

最近、ふと思うのです。

 

「皆、どうして自分のことばかり考えているのかな。」

 

と。

 

 

駅のホームや改札に向かう階段で。

下り側のスペースを全く空けない人がいる。

 

電車で順番抜かし。

ベビーカーが乗ってくると舌打ち。

 

 

これは、今日あったほんの一部です。

 

少しだけ、人に優しくするだけなんです。

それだけで皆幸せになります。

と、僕は信じています。人間の可能性を。

皆がちょっとずつ思いやれば、世界はもっと

色彩を帯び、笑いかけてくれると。

 

そんな世界になればいいと本気で思っているし、

まずは僕から周りの人たちに積極的に思いやりを

渡していきたい。

そんな風に考えながら日々生きているものだから、

そういうことが気になってしまう。

 

 

確かに、僕も自分のことで頭はいっぱいです。

これからのこと、今日のこと、昨日のこと。

仕事や人間関係、将来のこととか。

 

気持はわかります。

人は皆不安を抱えながら生きているから。

だからこそ成長できるのだから。

 

でも、ほんの少し、ほんの少しでいいから、

周りを見渡して、目の前の人を思いやってみてくれませんか。

 

きっと、幸せな気持ちになれると思うんです。

 

 

見て見ぬふりより、有難迷惑でいいじゃないか。

 

 

これを読んでくれた人、ありがとうございます。

明日からでも、今からでも、なにかひとつでいいから、

毎日誰かに思いやりを以て接してくれませんか。

 

それだけで、あなたも、そして知らない誰かも、

世界は平和で安全なところだと思えるはずです。

 

 

最後にこの言葉を。

「汝を愛するかの如く、汝の隣人を愛せよ。」

 

 

終わり

 

『役に立つ』と『楽をする』について

 

 

僕は、ものづくりが好きです。

 

 

今、SEという仕事をしています。

ひとえに

 

「誰か、何かの役に立ちたい。」

 

という想いから、この仕事を選びました。

 

 

小学生は漫画家。

中学生は…なかったな。笑

高校生は建築家。

大学生は編集者。

 

 

特にこれといって一貫もしておらず

やりたいことを選んできた結果、

理系にいったり文系にいったり。

何がやりたかったのかわかりせんでした。

でも、何かをつくることだけは

一貫して好きでした。

 

 

僕は人の役に立ちたい。

人に感動を与えたい。

社会を豊かにしたい。

 

 

なんとなく、こういう想いに気づいてからは

割と幸せな人生を過ごせています。

自分の核心にある、心を奥底に眠る

シンプルな答えに辿り着いた、といった

ところでしょうか。

今はやりたいことが溢れています。

まだまだ先が楽しみです。

 

 

 

…いつになったらタイトルに触れるのか?

と思っている方もおられるようなので、

この辺で本編に入ります。

ちゃんと必要な前置きだったんですよ。

 

では、携帯の電源はOFFに。

(読めねーよ!!ってツッコミはなしで)

 

 

 

新しいモノ、サービス、体験。

この混沌で未知なる現代社会。

色々溢れてます。

 

情報量が多すぎる気もしますし、

供給過多では?過保護すぎやしないかい?

と思うこともしばしばあります。

僕は。

 

 

というのも、何か本質的に間違っている

んじゃないか?と思うことがあるからです。

(やっとタイトルと絡んできます)

 

 

その最たる例が、階段とエスカレーターです。

 

階段スカスカ。

エスカレーターだだ混み。

 

よく見る光景です。

でも、エスカレーターって歩いたり走ったり

したらダメだし、二列で並ぶのが本来の

使い方らしいですね。

ちゃんと駅にも書いてあります。

 

にも関わらず、追越車線作って、

人は皆エスカレーターに乗る。

健康的な体を持ち、階段で行った方が

間違いなく早いはずなのに。

 

階段って、たぶん昔からありますよね。

お寺とかにもあるくらいなので。

 

なんのためにあるか?って、

それはもちろん上に行くためです。

人は宙を歩けません。

 

なので、昔の人は自分の脚でしっかりと

登っていたはずです。

 

じゃあ、体の弱い人、階段で行くのが

しんどい人はどうしたらいいか?

 

ここからスタートしたのが、

エスカレーターだと思うんです。

人類の技術の進歩ってすごいです。

 

でも、そう考えると、

若い人や健康な人は、必然的に

階段を使うことになる気がするのですが、

今では階段で行く人あんまりいません。

 

むしろ、重たい荷物持った

じいちゃんばあちゃんが、

エスカレーター怖いからって

階段で必死に上がってたりします。

 

僕はそんな光景を見るたびに

「役に立つもの」と「楽をするもの」は

似て非なるものだな、と思います。

 

 

今では当たり前のエスカレーター。

でも、本来の目的にかなった使い方を

されているかどうかは疑問です。

 

それにエスカレーター歩くと危ない。

それは本当に間違いないのです。

だからやめてほしい。

 

急ぎたいのなら、

健康な体があるのなら、

ぜひとも階段で行ってほしい。

 

心からそう願います。

 

 

 

他にも、「役に立つ」と「楽をする」

の間にあるものはたくさんあります。

 

ぜひ一度、皆さんもそこに注目して

生活してもらえたらな、と思います。

 

 

そして、仕事をするときにも、

そこを意識してもらえると、

世の中もっともっと豊かになるんじゃ

ないかなと、本気で思います。

 

 

終わり

 

 

人と接する時に思うこと

 

先日、京都は伊根湾に

遊びに行ってきました。

 

そこで気付いたことがあるので、

文量も程々にサッと書き留めようと

思います。

 

 

伊根湾には、海沿いに家が建っていて、

それは船屋と呼ばれます。

今回はそれを見に行きました。

 

そこに遊覧船のりばがありまして、

せっかくなので船に乗りました。

 

 

船に乗りながらカモメや鳶に

餌をあげられるみたいだったので、

餌をあげていました(かっぱえびせんです)

 

最初は少し怖かったので、

ビビりながら投げて餌をあげてました。

カモメもそれを察知するのか

全然懐いてくれません。

 

そして、意を決して、怖がりつつも

手で餌をあげてみることにしました。

 

すると、思っていたよりも

ちゃんと餌を食べてくれました。

(もちろん何回か突かれたり指をかまれたり

はしました笑)

 

しかし、意外とそれも楽しくて、

なんだか心の距離が縮まった気がしました。

 

 

これって、人間でも当てはまるんじゃ

ないかな?とふと思いました。

 

僕が当初カモメに抱いていたような

恐怖心や警戒心を持って接すれば、

人もそれを察知してこちらに信頼を寄せたり

心を開いてくれない。

 

しかし、まず自らが歩み寄る姿勢を見せ

全てを受け止める気持ちで接すれば、

相手もそれを察知して信頼を寄せてくれる。

心を開いてくれる。

 

 

まずは自分から。

 

 

普段から意識できているようで

できていなかったな、と

今回の旅で気付くことができました。

 

心を開く。信頼する。愛する。

この三つが大切なのではと思います。

 

 

終わり

 

 

「自信を持て」ということば

 

おはようございます。

 

考え事が好きな僕は、

よく寝る前に頭の中に問題提起を

しておいて、

早起きしてそれを考える、と

いうことをします。

 

朝飯前ということばがありますが、

これは朝起きてからご飯を食べる

までの時間が、脳が活動する上での

ゴールデンタイムだと言われている

何よりの証拠です。

 

昔の人も、感覚としてわかっていたのかな

と思うと、人間ってすごいなと思います。

 

ーーーーーーーーーー⚪︎ーーーーーーーーーー

 

さて、第一回のテーマを何にしよう?と

考えて寝たところ、

朝起きてふと頭をよぎったのが

「自信を持て」ということばでした。

 

このことば、僕の中では

あまりしっくりきません。

 

理由は、僕の中で自信は

持つものではなく積み上げていくもの

という認識があるからです。

 

 

正直、自信持て!って言われて持てたら、

たぶん悩んでないです。笑

だからやっかいなんだと思います。

 

このことばの悪いところは、

一種の《自己肯定・自己暗示》

近い側面があることです。

 

自信がないのに自信を持とうとすると、

それはある意味自分を騙していると

いうことにもなります。

今の自分では自信が持てて

いないわけですから。

自己肯定や自己暗示は、言ってみれば

 

ないものをあると脳に錯覚させること

 

です。

虚構の世界に自意識を引きずり込むような

イメージです。

夢を見てるような状態なので、

いずれ覚めます。

そして一番やっかいなことは、

 

現状は何も変わっていない

 

ということです。

これにより、後々さらに自信がなくなる

ことにもつながりかねません。

 

 

ではどうすればいいのか?

僕の答えはひとつです。

 

 

自信は積み上げるしかない

 

 

これに尽きます。

ではどうやって積み上げるのか?

 

 

成功体験を得る

 

これで自信は積み上げられます。

 

 

ただ、ここで、「ん?」と思う方も

出てくる方もいると思います。

 

 

「その成功体験を得ることが

難しいんじゃないか!!!」

 

と。

まさしくその通りです。

 

どんなに小さな成功体験でも

自信は積み上げられますが、

ここで大事なのはその積み上げ方です。

 

答えは簡単です。

 

  • 目標を立てること
  • 挑戦すること
  • 失敗すること

 

これだけです。

この二つを避ければ、

自信は積み上げられません。

 

 

なぜなら

目標がないと何が成功かわからない

ですし、

挑戦しなければそもそも成功も失敗もない

わけです。

そして、一番大切なことは

 

 

失敗を繰り返し成功体験を得るまでの

過程で自信が積み上げられる

 

ことです。

「成功体験を得る」という結果自体は

さほど重要じゃないです。

 

挑戦 → 失敗 → 試行錯誤

 

このループによって成功体験を得られる

というプロセスを知ることが

何より重要なのです。と僕は思ってます。

 

 

 

 

 

これは子育てにも非常に当てはまること

なのではないかな?と個人的には

考えています。

 

子供のやりたいことをやらせる。

すると必ず失敗します。

当たり前です、やったことないんですから。

 

でも、子供はそれをやりたい。

できるようになりたい。

そういう動機から始まってるので、

何としてもやろうとします。

そして、どうしたらできるか?を

考え始めます。

すると、結果できてもできなくても、

その子は自信を積み上げられます。

最終的にどんな形になろうと、

恐らく結果に満足するはずです。

 

大切なのはプロセスですから。

 

 

なので、大人の都合を押し付けて、

子供の意欲をかき消してしまっては

本当はいけないのです。

無理矢理習い事をさせたり、

塾に行かせたり。

 

これは子供のためと言いながら、

全部親である自分のためです。

「うちの子すごいと言われたい!」

という大人のエゴです。

 

子供は親の期待を背負っている

わけでもないですし、

その子には一人の人間として

自ら選択する自由があります。

 

失敗しようがどうなろうが、

それはその子が決めることです。

 

その子の人生はその子のものです。

誰のものでもありません。

 

「可愛い子には旅をさせろ」

 

このことばの真意は、

 

「やりたいことをやらせて失敗させろ」

 

僕はそういう意味だと思ってます。

 

 

この投稿で、

色んな人に自信の積み上げ方を

知ってもらい、自分や子供にも

実践してもらえると嬉しいです。

 

 

ご静聴ありがとうございました(ペコリ)