魚系男子の気まぐれ日記

子供な僕が日々大人になっていく様子をお届けしたりします。

”自立”について

 

 

 

 

 

 

 

どうも。

ええ感じに体が冬眠モード入ってきました。

 

 

 

冬眠モードっちゅうのは、

要するに省エネ化して、脂肪からエネルギーを使う体に

なるということです。

どうでもいいですね。笑

 

 

 

 

 

今回は、自立についてです。

 

皆さんの自立の定義はなんでしょうか。

 

経済的・人間的・環境。

色々あると思います。

 

それについて、

少しばかり僕の話をさせてください。

というのが今回の趣旨です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これを書こうと思ったきっかけ。

 

「自立できてないな…」

 

そんな風に思ったからです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自立。

僕は、

 

自分で自分を支えられること

 

だと、

皮膚感覚として最近そう思うようになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

主にメンタル的な面からのアプローチだと

思ってもらって大丈夫です。

 

生きてると色んなしがらみに巻き込まれます。

壁も立ちはだかります。

人、社会、何もかもが信じられなくなるまで

追い込まれる人もいると思います。

 

そんな時、内発的な意志によって

自分を支えることができること。

 

それが自立の定義だと考えました。

 

向き合うこと・向き合える勇気とも

言い換えられます。

 

 

 

 

 

 

 

例えば。

最近の僕の場合。

 

 

 

 

 

この前、友達と飲みました。

その時、こう言われたんです。

 

「自分が楽しいことも大事やけど、もっと大事なんは

自分が楽しませることちゃうか?」

 

 

 

スコ――――ン!っと刺さりました。

擬音語が正しいかはさておき、そう音が鳴りました。

 

 

確かに、毎日楽しい、仕事も楽しい。

趣味も充実してるし、仕事ではやりたいことも

やらせてもらってる。

 

 

しかし、しかし。

僕は人といるとき、人と会うとき。

楽しませる意識を持っていただろうか。

 

ハリのない毎日の埋め合わせに、

趣味を利用してはいなかっただろうか。

 

知らず知らずのうちに、

自発的に動き、内側から何かを与えようという

意思が抜け落ちてたのではないか。

 

 

そう考えた時、すごく腑に落ちました。

 

 

 

 

 

 

 

 

僕は、色んなこと。

人との時間、体験、趣味などがなければ、

自分が自分であることを認識しえるだろうか。

 

それらがひとたびなくなってしまえば、

空っぽなのではないか。

 

そうするならば、

僕が僕で在る、ということを証明するには

何をもってして証明すればよいのだろうか。

 

 

 

 

 

…自分からの働きかけではないだろうか。

 

そう、直感で感じました。

 

 

 

周りにあるもので構成され、それに塗り固められた

自分ではなく、それがなくとも自分が自分であると

自信を持てる、確固たる意志を持つこと。

 

生き方を行動で表すこと。

 

自分の弱さから逃げずに立ち向かう勇気を持つこと。

 

 

 

 

 

うまく言えないけど、

この3つがあれば、自立しているといえるのでは

ないだろうか?とふと思いました。

 

 

 

 

稚拙でとりとめのない文章ではありますが、

これが今の僕でもあります。

 

これからは、裸の心をさらし、立ち向かい、

そして人を笑顔にしたい。

 

 

そこが僕の生き方であり、

自立の方法なのかな、と。

 

 

 

何か皆さんが生きる上でのヒントになれば

とっても嬉しいです。

 

 

 

 

最後までお付き合い頂き

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

終わり